2006年09月30日
知的思考、論理思考
最近未分類をカテゴリとした多いことに愕然とした。
いや、別に大した記事なんてないのだから自然とこうなるのは分かっていたが。
一応、ホームページ作成支援サイトを運営している管理者なのだからと思っているのだけど、中々そういうわけにもいきませんね。書きたいことはいくらでもあるんですけど、それを文章として纏め上げても面白くなさそうだし。
こんなところでWebのあり方とか書いても意味はなさそうだしね。
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文章を書くとき、如何なる馬鹿でも秀才でも何でも知的・論理思考をすることができると思っている。普段は馬鹿やっているような人間でも、文章を書くときは気持ちや考えを整理できるからだと私自身は考えている。
いや、整理というよりは客観視の類かもしれない。文章を書いているときは、自分が他人みたいな感じがしないだろうか?そういう経験があったとしたら、まずそれは自己を客観視していることになる。
私についてだけの話だが、普段は客観視なんてしないし、こんな無駄なことは考えない。そんなことを考えるくらいならその日の予定を考えたり別の思考を展開する。
しかし、何故かは分からないがブログを書くとき、文章を書くときはそういった思考とは違った客観目線での思考ができる。
本の著者が自分の日々の情景を描写していることがあるが、それは果たしてその時に思っていたことなのだろうか?私にはそういったことが信じられない。日々の一つ一つの事柄に対してそんな思考を展開することができるのだろうか?自分をそのように客観視することが可能なのだろうか?
と考えたりするわけです。
私がこのような思考を展開するのは、文書に向き合っているときだけであって、日々の生活の中ではこんなことは決して考えない。複雑すぎる思考を展開するくらいなら寝る。時間が勿体無いというつもりはないがそんな答えの見つからないことなんて考える気がしないわけだ。
人間社会は意外と単純にできている。
複雑に見える構造だって、蓋をあけてちょっと中を覗いてみれば、分かってしまうことだって多い。複雑なのは人間の頭の中だけで、簡単な事柄。
そもそもムズカシすぎるなら、それは汎用的ではないわけだ。汎用性のないものはこの社会では発展していけないのだからね。
その中で過ごすんだから難しいことなんて触れる気は起きない。
生きるって事は何よりも楽しい。餓鬼が言う台詞でしかないが、そう考える。
そして時間は限られている。永久なんて理想でしかないんだから、今を楽しく生きなきゃ損する。笑えるときに笑って、泣けるときに泣いて、やれることはやれるうちにやっておくのがいい。
感情を押しとどめて、理性を保った先には何が待っているの?
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- by 山カズ
- at 22:32
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